大学でのボランティア活動は就活のため?偽善?大学でのボランティア活動について。
親知らず、マジで親知らずすぎ。出てくるか来ないんかはっきりせい。
おはよう。こんにちは。こんばんわ。シーエックスで候。
今回は大学でのボランティア活動について少し考えていきたい。吾輩がとんちんかんなこといってると思ったらコメントお願いもおす。一緒に考えてくれい。
吾輩は大学生時代ボランティアサークル2つに所属し、我ながらボランティアばっかりやってたと思う。片方は、国際ボランティアサークルで片方は児童ボランティアでい。
そんな吾輩だからずっと思ってたことがある
吾輩も含め「大学でボランティアやってるやつ、大概”偽善”じゃね?」
勘違いしないでほしいのが、ボランティアをするなと言ってるのではないし、それをしてるやつらを否定するわけでもない。ボランティアはそれが偽善であれすべきものだと思う。また、本当の善をもってボランティアをしている学生もいるとおもう。
加えて、吾輩がもし誰かに「大学でボランティアすべきですか?」と聞かれれば、YESと答える。それは就活にも役立つだろうし、社会に出てからも他人を思える力は生きてくると思う。得れるものは単に遊ぶだけのサークルよりも大きいと確信している。
・吾輩にとっての”善・偽善”の定義
では、なぜ大学生が行うボランティアの大半が偽善だと思うのか?それに答える前に、吾輩にとってボランティアにおける”善・偽善”とは何なのかについて話したい。宗教的な意味等は吾輩にはわからないが、ボランティアにおける”善・偽善”は見返りを「求めるか求めないか」が判断基準だと思う。ボランティアとは無償の人助けでの事を指す。あくまで目的はその人の助けになることであって見返りを期待して行うものではないと思う。よって、吾輩が思うには、ボランティアで見返りを求めている人は”偽善”、本当の意味で無償かつ自発的な人助けを行っている人は”善”だと考える。
・大学生のボランティアについて
では、今現在又は過去に大学でボランティアをしていた人に聞く。見返りを一切求めていなかっただろうか?「ありがとう」と言ってもらえる自己承認欲求、ボランティアを通して成長したい、サークルが楽しいから、何かしらボランティアをすることによって金銭的なものではなくても、見返りを求めていたのではないか?(将来より多くの人を助けるための経験を得るためみたいな理由は省く、自分で完結する利益を見返りと言ってる)大体の人にはあると思う。
吾輩はあった。吾輩が尊敬する人や吾輩のなりたい自分になるためにはボランティアをしている必要があったし、ありがとうといってもらえるのもうれしかった。だからボランティアをしていた。自分のためにしていた部分があった。
ただ、ボランティアをしている人は同時に「人を助けたい」というどこから来るかわからない気持ちを同時に持っているからボランティアを続けているのだと思う。だから、善のカテゴリーであるが偽善だとおもう。そんな気持ちがないのはそのカテゴリーにさえ入らない論外だ。
だから、吾輩が経験した大学でのボランティアは大半が偽善だと思う。
・最後に
吾輩は、ボランティアをすることは偽善であれ素晴らしいことだと思う。もし、ボランティアをしているなら続けてほしいと思う。
吾輩ははじめ、大学でボランティアしてるやつ全員偽善だと思っていた。でも、本当の善をもって取り組んでいる人に以前に出会った。最後にその話をしたい。
当時吾輩は21歳、その方は20歳と吾輩よりも1歳年下だった。ボランティアしまくっていた吾輩はその子に「大学生みな偽善説」を問うてみた。
その方は、真っ向からその説を否定し、夢を語ってくれた。
その方は「将来子供も欲しいしお金も欲しい、日本でゆっくりマイホームで暮らしていきたい。でも、それを捨ててでも国際赤十字に入って世界の人々を助けたい。それが私の使命だと思う。いまだって、見返りなんかいらない。人を助けたいそれ一心だ」とおっしゃっていた。それを語るそやつの目は光り輝いていて嘘偽りがないことが明白だった。
吾輩はそこまで本当の善を追求できないと思った。その代わり、そういった人たちの手助けができたらと思ったし、今も思っている。
だから吾輩は全員が偽善であるとは思わない。
・まとめ
大学生でボランティアをしている大体の人は、自分のためでもあるし、人のためでもある。吾輩は、本当の善、つまり、見返りを一切求めないような行動をしていけたらと思う。そうなれた時、吾輩がなりたい吾輩に少し近づけるような気がする。
念を押しておく、ボランティアをすることは素晴らしいことである
今回のこの話を聞いて、だから何だと思った人もいるだろうが、吾輩が最近思うことを述べさせてもろうた。
では。
*そもそもボランティアなんでせんならんねんて人へ
ボランティアをする意味が分からない人も吾輩はいると思う。そもそも、ボランティアの語源であるラテン語の「volo」に「自分から進んで~する」という意味があるように、自発性が必要だ。だから、そういった人にボランティアをしろというつもりは毛頭ない。ボランティアをしなければならない理由などない。他の人がすべきだとも思わない。分からないままでいい。